2017年8月4日金曜日

初めてカヌーした日のこと

お客さんとそんな話をしたもんで、昔のブログを漁ってみた。当時 mixi 日記の全盛期、外部ブログに日記を綴っておりました。その時のものがそのまま読める。


2006年7月15日、フジタカヌーの木津川でのスクールが初体験だった。子供のころ、親父に連れてってもらったこともあるので、初めてでもないし、その影響もあったんだろうが、自分でやりたいと思ってやってみるのは初めてだった。


その年の春、天啓を受けたかのように"カヌーで川下り"の妄想にとり憑かれ、挙句、乗ってみることもなく購入。納品を待ちきれずフジタのスクールに参加する、という無茶苦茶ぶり。

スクールでのことはよく覚えているんだが、今考えてみると、2,30人に一人のレベルでよく漕げていたと思う。行きたいところに行ってたし、岩を避けたりとか当たり前のようにできてた気がする。

というのも、2ヶ月ほど妄想の中でイメージトレーニングを繰り広げていたから、なのだ。加えて、その1回で上手くならなければいけないというモチベーションの塊だったのだ。その次からはもう一人で漕ぐつもりだった。



スクールに通うだの、ツアーに参加するだのという発想は皆無。自分で漕いで、絶対に帰ってくるのだという決意しかなかった。

なんでやろ?



という訳で、その日の日記をコピペ。

最近、想像だけで幸せになれるコトがある。これを人は妄想と呼ぶのだが、ある妄想にとりつかれている。
ゆらゆら流れる川にフネを浮かべる。そんに大自然でなくてもいい。水も透き通らなくてもいい。ゴミが浮いてなければいい。高い溝に囲われてなければいい。ちょこっと漕いで、ちょこっと荷物積んで、天気がよければちょこっとビールでも飲んで、少し冷えればコーヒーでも飲んで、プカプカ煙草くわえて、流されたい。

あぁ。
もう二ヶ月ほど、この妄想とともに生きています。

そしてやっちゃいました!!もう注文したもんね!!!!土曜日に体験教室に行ってきた~!!
あまりにその事ばっかり考えてるから、順番ばらばらやけど(買った後、モノが届く間に体験教室に行く)、もう、やってもたもんよ!! 
体験教室は、奈良と京都の境の木津の笠置というところであったんですが、前日楽しみで寝れなかったもんね!!フラフラしながら行ったけど、行ったら眠気全く感じなかったもんね!! 
沈(チン)!! するはずもないところで沈したもんね。ちょっと流されてどうしたらいいのかわからんで、ちょっと不安やったもんね。でも水は気持ちいいですよ。川の上はね、別世界ですよ。見たことない風景が広がりますよ。水面が近いですよ。高さとしては、水面より下に腰下ろしてるわけやから。初心者やから上手くいかんけど、パドルが流れを捉えたとき、自分の力が水の流れと一緒になるんだな。フネが流れに乗ったとき、本当に川面を滑っているというのを体で感じるんですね。 
今回は自分のフネではなくレンタルだったんで、迷うことなく底を擦ったり岩にぶつけたりしてましたが。今週中には届く予定です。楽しみであります!!
ちなみに二人乗りにしました。皆様誘われて下さい。

数日後の日記。


最近の僕の妄想の全てはカヤックであって、僕はそのことさえ考えていれば幸せなのである。というわけで、世の全ての雑事がど~でもいいことのように感じてしまう。俗世には初めから関わっていないとも言えるが、ど~でもいいと思ってしまうのは、自分の悩み・疑問の全てのことだ。 
僕はいつも大きな本屋に行くと嬉しくなって、傍から見れば小難しい本を、いろいろ手にとってみて、パラパラやって「ふ~ん」とか「ほ~」とか感じて、ちょっとでも肥しになればいいな、と思っている。そのために本屋に行く。出て行く時には、ちょっとだけ得た新しい見解を、ふらふらセンター街を元町のほうに歩きながら、反復したり、元々の見解との整合性を考えたりしてる。 
昨日、ジュンク堂に行った。そんなこと全くしなかった。しようともしなかった。「カヤックの本てあるかな~」「ないな~」「なんでないねん!Shit!!」という訳で地図を見て「お、こんなところに川あるな~どんな川かな~」「バイクで行くならこの道かな~」「お、湖もあるな~」「どんなとこかな~」と、次第に空想が楽しくなって、本棚の前にしゃがみこんで地図見て、やたらニヤニヤし始める。こんなところでニヤニヤしてはいけないことは知っている。でも、ええやん、そんなこと、だって楽しいもん! 
という体たらく。これぞ現実逃避。いやいやむしろ現実は川の上にある。あの自然に接して、現実といわずして、何が現実か。ビルの間をせこせこと歩き回ることが、真に現実ならば、誰もそんなに悩まない。東京に住んでストレスたまるヤツもいないはず。という訳で、僕のこの妄想と、それに向かうことこそが、現実である。川の流れに乗ることが、あの感覚こそが現実である。 
あ~駄目だ。 
こんなことしてたら、ややこしい音楽への興味もなくなるし、ややこしい研究への興味もなくなる。それどころか、「働く」ということへの一切の否定が待っている。世俗との一切の隔離。 
それは駄目。ニート。川上ニート。
ところが駄目だと言い聞かせても、顔はニヤニヤしておるのである。

どうしたらいいですか?

まだカヤックしたと言うても一回だけやからね。何回かするうちにいろいろ感じることがあって、そうして現実復帰するでしょう。それまで待たねばイカンのでしょうなぁ。


あれから10年、未だに楽しくて仕方がない。

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