『.... 59.... 60.... 61.... 62.... 』
『.... 82.... 83.... 84.... 85.... 』
気づくといつも、漕ぎを数えている。両手で1回。51なら、右手が「ごじゅう」で左手が「いち」のように。左右のどちらが先かは決まっていないようだ。
声には出ていない、と思う。口の中で声になる直前の、舌や唇を動かそうとする筋肉のざわつきだけが残っているような。頭では肉声と区別できていないから、いま思い返しても、本当に声に出ていないのかどうかわからない。
2019年の後半は公私ともにバタついてしまった。恒例にしていた年末のナラヨシ・スーパーロングもできなかった。このままでは年を越せない。心も体もピンと張り詰めるような漕ぎをしないことには、一年を締め括ることができそうもない。
急遽思い立って、大晦日、宇治川〜淀川を漕ぎ切るというチャレンジをしてみた。始発、ファルトを担いで京阪宇治まで。車を一切使わないのも久しぶりだ。パッキングにも気を使う。
初心に還るというのも、今回の旅の大事な理由だったと思う。ファルトを担いだ川旅に憧れてカヌーを始め、当時と今と何が違うのか何が同じなのかを確かめる。
レスキューギアやファーストエイド、予備パドルなんてものは当時持っていなかったな。コースの選択や時間配分は、めちゃくちゃうまくなっている(というか完璧だと思う)。本当はさらに上流の天ヶ瀬ダム直下からスタートしたかったが、荷物を担いで徒歩が+30分。日没までのタイムリミットのためにも体力のためにも断念。
橘島にかかる朝霧橋の右岸からスタートする。ここから17kmほど先の背割堤までは川の流れもあり快適に進む。背割堤を越えると左から木津川、右から桂川と合流し、宇治川は淀川と名を変える。ここからがきつい。川幅は広くなり、風を受ける。流れはさらに緩やか。
上陸して休憩すると時間を喰う。乗艇したままエネルギー補給。風向きと、わずかな川の流れをみて手を休めても進んでくれるラインに乗せて、おにぎりを頬張る。寒くて固まっている。
この艇でしっかり漕ぐ機会がほとんどなかったが、艇の動き方・進ませ方もわかってきた。パドルを入れるタイミング、体重のかけ方、足の踏み方、腰の回し方、等々。全てがはまれば艇は滑らかに、力強く前に進む。
ところが、この漕ぎ方では負荷が高すぎる.. 何度も足が攣り、その度に休まざるを得なくなった。今回のような長距離ツーリングでは省エネストロークこそが向いている。ところが省エネで漕ぐと、艇の動きが不安定でストレスになる。
結局、負荷が高い漕ぎと低い漕ぎを交互に入れながら、進んで行く。
淀川は、淀大堰によって分断されている。この大堰堤から下流が新淀川。阪急やJR各線で渡河するおなじみのエリアだ。淀大堰の上流部左岸には毛馬閘門と呼ばれる大水門がある。この水門の向こう側が旧淀川、大阪中心部を伝う幾本もの川となる。
今回は、毛馬閘門をポーテージし桜ノ宮から大川に入る。このポーテージがめちゃくちゃしんどかったんだが... 詳しくは書かないことにする。
大川を下り寝屋川の出合を越え、中之島の南側、土佐堀川を行く。少し浮かべたことはあったが、ちゃんと漕ぐのは初めて。下から見上げる大阪が、こんなに美しいものだとは知らなかった。
日が落ちて、ビルが光り、水面が光る。大晦日の街の、静かな空気が心地よい。
西日があまりにもキツいので、ここでサングラス登場。昼間は全然使わなかったのにね。
一つ一つの橋も趣きがある。土佐堀川から木津川に入れば、ゴールまであと少し。今日の川旅があと少しで終わってしまうことが、少し寂しくなってきた。
大正・大阪ドーム
前でゴール。約52km。8時半スタート、4時半ゴールの8時間。住之江まで行きたいなとか思っていたけど、それは次の機会にしよう。
日が沈み、周囲が見えなくなる頃には片付けも終了。ここから再び電車に乗って帰宅する。
初心を思い出したか?気づきがあったか?無心になって楽しめたか?はっきり言って、全然わからないのだ。一言では言い表せない気持ちが多すぎるし強すぎる。ただね、カヌーが好きでカヌー旅が好きでどうしようもないんだわ、というのは再確認。
一人でも、少しでもカヌーが好きになって欲しい。カヌーを通して見る世界が好きになって欲しい。こんな I&I Paddles です。本年も何卒よろしくお願いいたします。