核心部。『垣ノ瀬』かな? |
実は最近『ダムと民の五十年抗争〜紀ノ川源流村取材記』(浅野詠子著)という本を読んだばかり。紀ノ川上流部、すなわち奈良県吉野川で数十年もモメたダムと言えば、もちろん大滝ダムだ。
本の中では、ダム行政批判もさることながら、川や山との関係が変化していく住民の、葛藤の歴史が語られている。川と人の生活がどう繋がるのか、なんて考えさせられた。この話はまた機会を改めるとして、とにかく大滝ダムとの対峙だ。
大滝ダム直下のエグい瀬 "大滝" |
スカウティングというか物見遊山というか |
カヌレンジャイ! |
実際に漕いだのは、エグい瀬"大滝"の下流から。めちゃくちゃ渇水で、大滝の普段は見えないような岩まで見える。今回は水が少なすぎて漕げないので、訪れるかどうかわからない機会のためにスカウティング。
大滝周辺は、巨大なポットホールが岩盤を切り刻んだような、エグいゴルジュの様相。この景観だけでも価値がある。
大滝のすぐ下流で、川は大きく右に屈曲する。右岸には、これも白激漕者にはお馴染みの磨崖碑がある。土倉庄三郎を称える碑なのだが、彼がどんな人物かをここで書けるほどに詳しくはない。この記事が読みやすいかも。
Huffpost 『土倉庄三郎没後100年/「林業は国の 本」と唱えた山林王の事績』http://www.huffingtonpost.jp/shinrinbunka/industry-of-wood-tuchikura_b_17390362.html
高さ約30mの磨崖碑は、169号から見てもかなりの存在感だが、水面からはさらに巨大にそびえて見える。
いくつかの瀞場と、岩だらけのパチンコセクション、
落差のある瀬を抜け、
核心部へ。
まずは入念にスカウティング。そして先陣を切らせてもらうことになった。緊張する。なんてたって怖いのだ。一番手はその緊張がさらに増す。
だからこそ、漕げたときの興奮は言葉にならない。ただ叫び声になる。
コウノさんが続く。
核心部では、交代でバックアップ体制をとる。自分が漕ぐ時にはレスキューのために待機してもらい、自分が漕いだら交代する。
漕ぐか漕がないかは自分の選択。漕がなければボートを担いで歩けばいい。周りが励ましたり囃し立てたりすることはあっても、漕がない選択をすることも大切な判断だ。
瀬の下流を見ると、見事なキャニオン。北山川の渓谷を凝縮したような雰囲気。
核心部からゴールまではあっという間だった。核心部の興奮が冷めないまま、どうだったああだった。次はどうだこうだ。やっぱりこの興奮感は、他の何にも変えられない。
ゴールポイントの少し下流で、支流の高見川が合流する。山間部を縫うように蛇行し、吉野神宮の麓で視界が大きく広がる。ここから【ナラヨシ・スーパーロング】が始まる。
大滝周辺は、巨大なポットホールが岩盤を切り刻んだような、エグいゴルジュの様相。この景観だけでも価値がある。
大滝のすぐ下流で、川は大きく右に屈曲する。右岸には、これも白激漕者にはお馴染みの磨崖碑がある。土倉庄三郎を称える碑なのだが、彼がどんな人物かをここで書けるほどに詳しくはない。この記事が読みやすいかも。
Huffpost 『土倉庄三郎没後100年/「林業は国の 本」と唱えた山林王の事績』http://www.huffingtonpost.jp/shinrinbunka/industry-of-wood-tuchikura_b_17390362.html
高さ約30mの磨崖碑は、169号から見てもかなりの存在感だが、水面からはさらに巨大にそびえて見える。
いくつかの瀞場と、岩だらけのパチンコセクション、
落差のある瀬を抜け、
落ち葉が宙を舞う。写真ではわからへんなあ |
核心部へ。
だからこそ、漕げたときの興奮は言葉にならない。ただ叫び声になる。
コウノさんが続く。
核心部では、交代でバックアップ体制をとる。自分が漕ぐ時にはレスキューのために待機してもらい、自分が漕いだら交代する。
漕ぐか漕がないかは自分の選択。漕がなければボートを担いで歩けばいい。周りが励ましたり囃し立てたりすることはあっても、漕がない選択をすることも大切な判断だ。
瀬の下流を見ると、見事なキャニオン。北山川の渓谷を凝縮したような雰囲気。
核心部からゴールまではあっという間だった。核心部の興奮が冷めないまま、どうだったああだった。次はどうだこうだ。やっぱりこの興奮感は、他の何にも変えられない。
ゴールポイントの少し下流で、支流の高見川が合流する。山間部を縫うように蛇行し、吉野神宮の麓で視界が大きく広がる。ここから【ナラヨシ・スーパーロング】が始まる。
今年は12月17日。参加者、挑戦者、お待ちしてますよ
0 件のコメント:
コメントを投稿